「世のため人のため」のボランティアは役に立たない。必要なのは素直さとちょっとだけのエゴである

スポンサードリンク

こんにちわ。

みなさんは「ボランティア」といいますとどんなイメージがあるでしょう。

色々あると思いますが、報酬無しで他人に尽くす人、というイメージを持たれている方が多いと思います。

実際にぼくも学生時代まではそんなイメージを持っていました。

ただ、ぼくは社会人になってからボランティアに実際に取り組んでみて、他人に尽くすというよりは「自分のためにやってるな」ということに気付いたので、今日はそれについて書いていきます。

 

何のためのボランティア??

16779992_1312829065444887_17041303_n

ぼくがボランティアに取り組んだきっかけ

ぼく自身、もともとボランティアというものに興味があったわけではありませんでした。

高校時代は部活動と勉強に追われ、大学時代はサークルと研究活動でいっぱいいっぱいでそれ以外のことは何もできない、という感じでした。

 

しかし、社会人になってから知人に「こういうボランティアあるんだけど~」と誘われたのが、児童対象のキャンプイベントのサポートスタッフ。

ぼくの中でボランティアというと災害が起きたときに被災地の方々の力になるためのもの、というイメージが強かったのでここまで楽しくやれそうなことがあるのか、と思い、やってみることに。

実際にやってみて普段関わることのない子どもたちとがっつり関われ、楽しそうな子供たちの笑顔も見られ、とても楽しくやれました。

 

とはいえ、「ボランティア」というからには人のためにやらないきゃいけないな、という考えが自分の中であり、そのために自分を押し殺してやり過ごした、ということもありました。

 

あるとき気づいた、「自分のためにやればいい」ということ

何度かボランティアに取り組んでいくうちに、「参加者のために尽くすことなんて無いのではないだろうか」という考えに至るようになりました。

きっかけは覚えていません。

 

ただ、自分がボランティアをやる理由は3つありました。きれいごととか一切抜きで。

  • 将来自然体験に関する仕事をしたいと思っていて、そこで役立てるための経験を積むため
  • そして面接の場で「こんなことやってきました!」とアピールするため
  • 子どもの前で笑顔になれ、楽しくやれる自分が好きである

とくに3番目の理由なんかめちゃくちゃナルシストな感じもしますが、これがぼくの偽りのないボランティアをやる理由です。もちろん、子どもが好きだからこの考えが成り立ちますよ。

 

この3点に気付いた時、ぼくは「自分のやりたいことに全力で取り組んでいれば子どもたちも釣られて勝手に楽しむでしょ!」という感じで開き直ることにしました。

だからぼくはこのときから、「子供たちを楽しませるように頑張るんだ」という前提の考えを捨てることにしました。

 

もちろん最低限の心遣いや気配りはするし自分さえ楽しければいい、という極端な考えは持ちません。けど、「自分が楽しければ子どもたちも楽しい」という自分を中心にして考え、行動するようにしました。

 

「世のため人のため」というボランティアは自分にうそをついている

KCDSC_5895_TP_V

皆さんのイメージ通りボランティアは報酬というものは基本的に出ません。むしろ、活動費を負担しているケースの方が多いです。

それに反して人間は基本的に損得で動く生き物です。つまりぼくをはじめとして何かしらのメリットが無いとまともに動けない生き物なのです。

 

だからぼくは「○○の方のために頑張ります!」と話す人は嘘ついてるか、本心を語りたくない人なんだろうと思う。

「将来やりたい仕事で役に立ちそうなことなので経験積むために来ました」「取り組んだら就活で有利になりそうなので頑張ります」とか「子供が大好きなので来ました」と素直に言う人の方が全然人間味があって信用できます。

 

偽善でもいいでしょう。結果的に人の役に立ってるわけだし

もっと汚そうに思える表現で具体例を出しましょうか。

地震が起きたときに全国各地から被災地へたくさんのボランティアが来て色んな手伝いをしますよね。

自腹切って被災地に向かう彼らがいるからこそ助かってる被災者が沢山いるのは間違いないのですが、

ぼくはあそこで活動してる人たちは「被災者に尽くしてる自分素敵だなー」って思ってるんだろうな、と考えてしまってます。

 

まあシンプルに言うなら偽善者ってことですね。

けど、偽善で何が悪いのだろう?という話ですよね。人の役に立っているわけだし。偽善=悪と捉える風潮がそもそも間違ってるよね。

むしろ自分本位の目的がある人ほど「どうすれば役に立てるか」って考えて行動できる。ぼく自身の経験からもそう感じます。

 

「人のため社会のため」と言い聞かせて自分の目的が曖昧なやつほど不平不満が出る

災害ボランティアとかでよく聞く、ボランティアのマイナスイメージで「寝場所・食事がないなど不満を言う」というのがありますよね。

あれこそがまさに「被災者のため社会のため」の考えだけを自分に言い聞かせて自分と向き合わなかった人の末路だと思うんですよ。

 

自分本位の目的を持ってる人って強くて、「寝場所がないのは被災者も同じ、しょうがない」ってなると思うんです。

けど世のため人のためと考える人は「せっかく被災地まで来てやったのに寝床もないのー??」と不満を垂れるようになるわけです。

 

そして「世のため人のため」という考えがそもそも上から目線なので心のどこかしらで見返りを求めてるんですよね。

こういう理由から自分本位の目的をもってボランティアに取り組む人はたとえ偽善であっても結果として被災地に貢献できるわけです。

 

ボランティアに必要な心構え、「素直さ」「ちょっとしたエゴ」

SAYA151005528295_TP_V

というわけでここまで「世のため人のため」というきれいな理由よりも「自分のため」という偽善も混じった理由でやる人の方が強いということを説明しました。

じゃあ「自分のため」の理由を持つために必要な要素は何か、という話ですがぼくは「素直さ」と「ちょっとしたエゴ」だと考えています。

 

素直さ

ボランティアに限らず、どんな場面でも必要になってくる要素ですね。

ここでいう素直さというのは、「自分本位のやる理由」を受け入れることですね。

先述の通りぼくはキャンプスタッフのボランティアをやる本当の理由を3つ持っているわけですが、3つ目の理由は気づいてから受け入れるまでに結構時間がかかりました。

「気づくこと」と「やる理由として受け入れること」は違うんだな、と痛感しました。

 

ちょっとしたエゴ

自分中心で考えろ、ということです。

ただ、ポイントは”ちょっとした”というところ。ただのエゴイストではいけません。

そこの加減を間違えると自分だけ好き勝手楽しんで周りは気にしない、なんて最低な輩になってしまいます。

最低限の気配り・心遣いは持たなきゃダメですが自分中心のやる理由を見つけましょう。

 

おわりに

世間一般に思われている「世のため人のために」尽くしているイメージのボランティア。

けど、やるなら「自分本位の目的」をもって取り組んだ方が絶対にいいです。

その目的で行動するために必要なのが「素直さ」と「ちょっとしたエゴ」だと思う。

実際に口に出したら「偽善だー!」とか言ってくる輩もいるだろうけど、偽善で何が悪いのだろうか?ってぼくは思いますね。迷惑かけてるわけでもないし。

「やらない善よりやる偽善」ていうことわざもあるじゃないですか。

自分の時間を使うわけですし自分のためにやってもいいんじゃないの?ってぼくは思いました。

 

 

スポンサードリンク